着メロとクラシックの違い

 携帯の着メロやMIDI等の機械的な音楽と純粋な音楽の違いは、ズバリ、音程感だ!!

 ニュアンスでも書いたが、音程が変わるとそこに何らかの力のバランスが崩れ音の強弱が生まれる。曲を奏でる場合、一つ一つの音を弾く度に、その前の音に対して強弱が決まる。
 
 例えば、「あし〜たがあ〜る〜さ」とか、「よろこび の〜うた」とかの歌を実際歌ってみよう!!そのとき、何らかの強弱を着けて歌っているはずだ。それが自然な音楽の姿なのだ。着メロが何か平坦な平面的な音楽に聞こえるのは、全ての音程の音量が同じだからだ。

 更に言うなら、演奏家たちは、この音程感を出すために微妙にリズムや音の長さを変え、高い音をより高く、低い音をより低く聞こえるようにして、奥の深い立体的な演奏をしているのである。



 一般的には、音程の差が大きくなればなるほど、強弱が大きくなるようだ。オクターブもあればたいへんな事だ。例えば、(下の)ド−(上の)ド、(上の)ド−(下の)ド と弾くとする。上がるときは、高飛びの要領だ。踏み切る下の「ド」に一番エネルギーがかかる。下がる時は、落下傘効果の要領だ。降りきるまで時間がかかる。

 オクターブのと言う音程差を感じるには、ピアノ(結構遠い)や、弦楽器なら同じ弦(弦を変えればすぐだが)でオクターブをとるのは結構遠い。
 
 プロの演奏家のCDを音程感を中心に聞いてみるのも面白い。一流の演奏家は1オクターブが2オクターブ位に感じてしまう。これぞ芸術と言う感じだ。 



 ちょっと話がそれてしまったようだ。元に戻して具体的に「あしたがあるさ」や「よろこびのうた」で分析してみるとしよう。(注)かっこ内の強弱はその前の音に対してである。

 (強)(弱強)(強)(弱)(強)(ここの音程の差に注目)(弱)(強)(ここの音程にも注目)(弱強)(弱)


 (強)(弱強)(弱強)(弱)(上昇している音型なので段々音は弱くなる。構わない範囲でこの音の長さを開けるといっそうの音程感が得られる)(強)(強)うた(弱強)


 非常に解りづらい表現で申し訳ない。解って頂けただろうか?着メロとクラシックの違い???こんな細かな音量の設定着メロでは無理でしょう。
 



もう一つ フレージング について



 もう一つフレージングについて触れておきたい。

 「あし〜たがあ〜る〜さ」 は、1フレーズである。1フレーズと言うのは、「質問」に対して「答え」と言う風に一対になっている。「あし〜たが」と言う質問に対して「あ〜る〜さ」と言う答えである。

 文で言うなら 「主語」 と 「述語」 に当たる。お笑いなら 「ぼけ」 と 「つっこみ」 の関係である。これらは、一対で、1つの物として成り立つ。「ぼけ」 ばっかりだと成立しない。 

  この1フレーズがいくつか集まって、1つのメロディーが出来る。そして、いくつかのメロディーが集まって1つの曲が出来るのである。1フレーズを小さな山とすると、小さな山が集まって、大きな山が出来る。


 大事な事はこの1フレーズを「対」としてまとめる事だ(そのまとめ方がたいへん難しいのだが・・・・それを世間ではフレージングをすると言う。)。そうして、次のフレーズに入っていく。そして次・・・
 そのいくつかのフレーズをまとめて、大きな1つのフレーズとしてまとめる。 曲を奏でると言う事はそう言う作業の繰り返しなのだ。
 
 上の図はほんの一例です。言いたいのは、1フレーズは、曲の中にたくさんある。特に、古典音楽には、数秒に一回巡ってくる。フレーズの勉強には、古典音楽が必須だ。(それに対してなかなか1フレーズが巡って来ない曲もある。時には、数分を要する物もある。それが軽薄な音楽とは言いたくないが、そう言う音楽ばかりだと、フレーズを体験する機会が少なくなってしまう。)


 


 もう一つ問題にしたいのは、「ブレス」(息継ぎ)の事である。朗読をしたり、管楽器を吹いたりするときは、良い区切りで、必ず 「ブレス」 をする。このブレスをすると言う行動がすごく重要だ。観客と言うのは、これらの演奏者と一緒にブレスするのだ!!。


 マンドリンの様な永遠とブレスの必要がなく弾くことが出来る楽器は、むしろこの「ブレス」を意識して付けないといけないと思う。そうしないと観客が、息苦しくなってしまう。

 私自身も、マンドリンやヴァイオリンを演奏する時には、フレーズ度に息をする。実は演奏している自分自身が一番近い観客でもあるわけだ。演奏していて息苦しくなって、何もかも放ってしまいたい事もあった。(楽器を放らなくてよかった!!(^^;)

続く