日本マンドリン独奏コンクール入賞者 ”その後の消息”

 日本マンドリン連盟本部会報2000年2月号に載せていただいた記事を紹介します。


 私は、現在、土佐の高知で農業を営んでいます。
名古屋での6年間の生活を経て、19年前に高知に帰ってから、マンドリンを持つ手を鍬に換え、マンドリンに懸けた情熱をトマトに換えて毎日を有意義に過ごしております。
お陰様で、取引先での評判も良く、引っ張りだこです。しかし、トマト栽培も音楽と同じで、奥が深く、やればやるほど疑問が出来、問題も起きるものです。それを解決し、一つずつ壁を乗り越えることで自分を高めて行くことが出来、そこに大きな喜びを感じています。

 平成11年の今年も、名古屋のマンドリンの恩師、榊原喜三先生からもトマトの注文があり、名古屋を離れて19年も経つのに、未だに交流があるのは大変ありがたい事です。昨年には思いがけず、中野二郎先生より直接、トマトのお礼状とCDを戴き、大変恐縮し、大感激したものです。

読者の皆様、高知のトマトは如何ですか?ご注文承けたまります。宣伝はこの辺にして、次はマンドリンと出会いについてです。

 本格的に始めたのは、大学に入ってからです。高校時代に少しかじっていたので、本格的にやろうと思いマンドリン部に入部しました。ソロマンドリンに興味を持ったのは大学2年になったばかりの春だったと思います。ある朝FM放送を何気なくつけたとき、素晴らしいマンドリンの音色が聞こえてきたのです。スペイン奇想曲、シシリアの思い出、幻想的ワルツ等、それがマリア・シビッターロの演奏でした。その時の感動は今でも忘れることが出来ません。それ程、自分にとっては衝撃的な事でした。幸いソロの好きな先輩がおり、早速楽譜を手に入れ、それから毎日自己流で練習しました。そうこうしている内に自分にとって、人生を左右するような先生出会うことが出来たのです。
 榊原喜三先生のムジーク・ゾリステンがこの年の冬にオープンしました。当然ながら私は毎日のようにゾリステンに足を運びました。そして先生の演奏を生で聴いたりお話をしたり、また覚えたてのソロ曲を弾いたりして名前を覚えてもらおうとしたものです。
 
 次に、ソロコンへの挑戦です。私は大学4年になっていました。大学4年といえば本来は、就職活動とかで一番忙しい歳なのですが、自分は農家の長男でもあり、家を継ぐ気持ちだったので、そんなに焦ってもいませんでした。それを知ったか知らずか、ある日先生に、ソロコンに挑戦してみないかと言われました。直ちに決心したのは言うまでもありません。
 その年の課題曲ムニエルの第一ファンタジーで何回かレッスンを受けました。この時初めて、一曲をたった一人でまとめ上げるという難しさを知りました。一曲10分の曲を一回通すだけで、もうヘトヘトでした。それを何回も何回も繰り返して練習しました。真夜中に急に練習したくなり部室に行き、朝まで弾いたという事も何回かありました。その甲斐あってかソロコンでは、三位に入賞することが出来ました。しかし、これは練習の成果であって、本当に音楽的に優れているとか、芸術性を感じるとか言うものではないなと、今になって思います。当時は何も分からず無我夢中でした。 
 三位戴いただけでも、恐れ多いのに、当時の私はそれでは足らず、一位を狙おうと次のソロコンへ出るべく、卒業してからも2年間マンドリン教室を開き、名古屋におりました。さあ、今度は一位だ!!!と挑戦しましたが、現実はそんなに甘くはありません。結果は五位でした。その時の挫折感は大変なものでした。しかし今考えると、その時の挫折感があって今の自分がある。あの事がなかったら音楽に対する情熱も今ほどじゃなかったかもしれないと思うのです。良い経験をさせて戴きました。 

 その後、夢破れて、高知に帰り農業に従事しました。幸い、高知にも高知マンドリン土曜日会と言うクラブがあり入会し、ほどなくコンサートマスターを引き受けることになりました。その人達の協力もあり、2年後には榊原先生を迎えて、ジョイントリサイタルも開けました。


 高知に帰って来て良かった事と言えば、都会と違い田舎は、音楽の世界も小さく音楽人工が少なく、色々な楽器の演奏かと本気で真面目な話が出きる機会があると言うことです。

  ややもすると都会では、世間話で終わってしまうような他の楽器の演奏家の人達と音楽の話をすることによって、芸術としての音楽、一瞬一瞬をアートしていく感覚が少し理解できたような気がします。このような事を書くと、もうほとんど評論家的になってしまいますが、飽くまで、自分は演奏家でありたいと考えております。(最近、急速に腕が落ちてきておりますが・・・)
 話が横道にそれてしまいましたが、リサイタル以後の消息を書いて、この原稿をおさめたいと思います。榊原先生の他にも、高知に来て演奏会を開いてくれました。カバサン・トリオの川口雅行先生、実家が四国の今治と言うことで、ドイツの越智敬先生も高知で演奏して頂きました。最近では井上泰信氏がゲストコンサートマスターとして来高してくれソロステージもやってくれました。
 高知での演奏会がきっかけで、越智先生とは親しくして頂き、平成7年の春には、先生を頼ってドイツに演奏旅行もしました。これは一生の素晴らしい思い出です。

 思えば、高知に帰ってきて19年、高知でのマンドリン音楽の発展、ソロ曲の紹介、後輩の育成をコンクール入賞者の使命と、肝に銘じ自分なりに一生懸命努力して参りましたが、力及ばず、未だに高知からソロコンに出場するものはおりません。しかし、このかわいらしい天使のような音のするマンドリンを愛し、ソロコンまでは行かなくとも、趣味で奏でる人が、少しでも増えるよう私なりに精一杯努力しようと考えています。

終わり