先日、高知交響楽団の定期演奏会の打ち上げの最中、指揮者の前田先生と色々とお話をすることが出来た。その時に、音楽の三要素の話になった。音楽の三要素とは、リズム、メロディー、ハーモニーの事だ。そこで私は、この中で、順番はどうなのか訪ねてみた。すると、先生は、メロディー、ハーモニー、リズムの順番だと言った。ちょっとショックだった。私の中で一番は、リズムだった。リズムはお客様と、演奏者との一番身近な接点だと考えていた。そして、リズムをおろそかにする演奏は許せなかった。

先生に無断で掲載してしまいました。どーか笑って許して下さいね〜〜〜
 私が音楽というものに接したのは、まずはマンドリン音楽だと思う。
 ピアノやヴァイオリン等とは全く接していない。しかも18歳。マンドリンと共に、青春時代を過ごした。今もそうだが、学生時代、マンドリンオリジナルばかり弾いてきた。イタリアマンドリンオリジナルはクラシックの時代でいうと、ロマン派の絶頂期に当たる。(実はこの2.30年の間にほとんどのオリジナル曲が作られた。)
 ベートーベンやチャイコフスキーに代表されるこの音楽は、縦線にこだわることなく自由に歌う。
 若い頃は音楽と言うものはそう言うものだと思っていた。しかし、音楽の基礎のない学生どうしの演奏ではどこか無理があった。段々とリズムの崩し方が解らなくなった。
 そこで、段々とひとりよがりの自由奔放な音楽から枠にはまった音楽へと興味が移って行った。バッハに代表される古典音楽である。 限られた枠内で歌うことが出来てこそ、始めて、自由奔放な音楽が弾けるのではないか。と考えたからである。
 先日の先生との話で、自分がまだ、学生のあの時の気持ちから越えられていないという事がよく解った。20数年間なんら進歩していなかったのだ。また、先生のお話で、最終的にはまたメロディーに戻るのかな〜〜とも思った。
 そこで、前述の先生の言うとおり頭を切り換えて、メロディーを一番に考えるようにしてみようと思う。と言ってもリズムを忘れてはいけない。リズムを追っているだけでも行き着くところがないから、仕方なく途中でUターンである。リズム、メロディー、ハーモニーひとつづつ併用していこうと切り替えた。

 話はメロディーへと移る。

  メロディーと言うと歌である。前述した中にも「歌う」と言った言葉を書いてきた。歌うと言うのは、何も旋律だけではない。音符が並び、そこに音程の差があれば何らかの強弱の関係が生まれる。言い換えれば、何らかのニュアンスが生じて来るのである。この事は自然の原則(例えば水が上から下に流れるとか)であって、何故と聞かれても困るものだ。
 この自然な強弱の関係を身につける為に、教則本で、いろんな音型をいやになる程弾く。又は、古典音楽の様な、いろんな音型の出てくる曲を練習する。そうすることで始めて身に付くものなのだ。(中には天才と呼ばれる人もいる。)大人になってから始める人の多いマンドリン界では、悲しいことに十分に教則本を練習することがない。これは仕方のない事かも知れない。(私も大きな顔は出来ない。)
 
 しかし、自然な強弱は解らなくても、なんらかのニュアンスは表現する事は出来ると思う。前田先生は、このニュアンスと言う言葉をよく口にする。個人個人で何らかのニュアンスを表現してもらいたいと言うのだ。表現出来れば、それに対するアドバイスが出来る。他のパートがこうしたからと言うのではなく自分の意志で表現して欲しいとおっしゃる。
 この事は、マンドリンでも同じ事が言えると思う。パート符を見て、その音型に合った強弱を付けたり、ある程度拍子の枠を外してみる。(こういうことを「歌う」と言う。) 1stがクレッシェンドしたから大きくするのではなく、この音型が明らかにクレッシェンドする音型だからする。
 こういうことが出来ればすばらしいと思う。自分が出来ているとは思わないが、自分が出来て始めて人に言うとすれば、一生言うことが出来ないので、敢えて申し上げる。
 一人一人が、棒引きにならず、自分自身が考えて歌う。そうすることによって曲が表情豊かになるのではないだろうか。その結果、聞いていただく人達の心を打つ事が出来るのではないだろうかと思う。
 いつの日か練習をしていて指揮者さんから、ここもうちょっと歌って下さい。とか、それはやりすぎ。とか、ここはある程度枠にはめて演奏して下さい。とか、そんな発言が飛ぶような練習になればすばらしい事だと思う。最後まで読んでくれてありがとうございました。

 ハーモニーは別の機会に

 終わり
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